妻籠を愛する会は、妻籠宿を中心に在郷の集落を含めた地域、ほぼ江戸時代の妻籠村地域の全戸網羅の住民組織です。
昭和43年9月に妻籠宿の保存運動を始める時、技術者(学者)と行政と地域住民が三位一体でスクラムを組んで事業を推進するために発足しました。
当会は、現在も重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)1245.4ha、地域全体の景観保全に努めています。
一言でいえば「税金を集めない村役場」です。
活動の目指す所は住民憲章に記されています。
家屋や構築物はもちろん、周囲の野山の景観を含めて、地域に伝わる文化の継承にも努めています。
財団とは言えお金に苦労している貧乏財団ですが、本物志向で活動しています。
景観保全は、家屋の補修や小屋の新築のみならず石垣の積替え、山林の伐木に至るまで、現状を変更しようとするときは、妻籠を愛する会の統制委員会に届け出て、町の保存審議会からの許可を受けて実行となります。
家屋の修復に関しては、妻籠宿は板葺き石置き屋根がほとんどでしたが現在はわずかしか残されていません。
この屋根替えしも地域住民が共同作業で行い、屋根板作り、屋根替えしの技能継承にも努めています。
その他に、中山道沿線の道普請、防火用水の大井水の水普請等もボランティアでの作業を行っています。
地域の伝統行事として、旧正月(百姓の正月)の十三月、繭玉、雛祭り、端午の節句 七夕、お盆の迎え火、送り火が毎年行われています。その他にも、観光協会主催の「伝統芸能の夕べ」「妻籠宿火まつり」で地域の伝統芸能を披露することで、継承者の発表の場となっています。
妻籠宿最大のイベントは11月23日(新嘗祭)の文化文政風俗絵巻之行列です。
これは妻籠宿が集落保存を行う時、住民に集落保存の行く末を知らしめるため、中山道を当時の格好をして歩けば理解されると言って始まりました。
当時は住民が自前のボロを着て歩いたのが始まりでしたが、現在では役者が150人、後方の支援者が100名ほどで規模も大きく行われます。
この時瓦版売りが配る、現代瓦版(その年の世相を反映した風刺画)も好評です。
現在まで45年続けており、当日は観光客の方など8千~1万人が狭い宿場を埋め尽くします。
妻籠は昭和40年初頭、限界集落になろうとしていた時、地域の住民を食べさせるため「保存という観光開発」を行い、日本で初めての集落保存構想を成功させました。そして今も保存事業は続いています。
また昨今は、海外からの旅行客が非常に多くなり、妻籠宿は国際観光地となりました。
馬籠峠を越える外国人は6千人超。妻籠宿を訪れる外国人の国籍は北米、オセアニア、ヨーロッパを中心に約52ヶ国から訪れます。
彼らからの評価は、Wonderful・Beautiful・Good です。
そして、馬籠峠手前にある一石栃立場茶屋の無料休憩所は、おもてなしで出されたお茶を飲みながらの国際交流の場となっています。
この雰囲気が、地球上の何処でも行われ、平和な地球であり続けばと思います。
妻籠を愛する会は今後も、本物を守り継承することを目指し活動を続けていきます。
理事長 藤原義則