[プロフィール]
公益財団法人 妻籠を愛する会 理事 兼 統制委員会委員長
南木曽町妻籠宿保存地区保存審議会会長
有限会社 松瀬工務店 代表取締役
山懐に抱かれ、蘭川に沿って佇むセピア色の町並み。
木と土でできた本物の日本家屋やよく手入れされた里山は、日本の原風景としてどこか懐かしさを感じる。
妻籠宿を訪れた人なら、誰もが「ここには江戸時代が残っている」と思うだろう。
「この景観は偶然残ったわけではありません」
「妻籠を愛する会」の統制委員長をつとめる松瀬さんは語る。
「今から40年以上も前から、『妻籠を愛する会』が中心となって、町並みの保存をしています」
「妻籠を愛する会」が発足したのは昭和43年。
当時の妻籠は人口減少と高齢化が進む限界集落だった。
かたや日本国内は、高度経済成長期で急激に豊かになり、「開発」の名のもとに古き良き日本が壊されていった。
「このままでは妻籠がなくなってしまう・・・」妻籠の町並みを守るため、住人の総意により「妻籠を愛する会」が立ち上がった。
妻籠には住民たちが自ら制定した住民憲章がある。
それは妻籠宿と旧中山道沿いの建物、屋敷、農耕地、山林などを「売らない」「貸さない」「壊さない」の3つの「ない」を定めた非常に厳しいものである。
「私たちは『妻籠を愛する会』の第2世代です。若い頃は自由度が少ない住民憲章や、会の方針などに随分反発したものです(笑)。でもね、発足当時の第一世代の人たちが200%の厳しさで町並み保存に取り組んでくれたおかげで、今、妻籠宿の姿を100%の形で残すことができていると実感しています」
昭和50年、文化財保護法の改正により、「重要伝統的建造物群保存地区(以下 重伝建地区)」の制度が導入された。
妻籠宿をはじめ全国で7ヶ所の町並みが「文化財」になった。
とはいえ、町並みは美術品のように保管庫にしまうことはできない。家屋は風雨に当たり、樹木は伸びる。
「文化財はそのカタチを変えることはできないので、家屋の修繕や増改築はもちろん、樹木の伐採にもいろいろな規制はあります。決まりがある中での生活ですが、私たちには次世代へ渡すという責任があります。50年後、100年後の妻籠宿を常に想像しながら、『保存』という『開発』を行っています」
『保存』と『開発』は正反対のように聞こえるが、
「『変えない』ためには人の手を入れなければなりません。いつ来ても変わらない景観になるように、『開発』をしているのです」
「重伝建地区」の制度導入後、日本各地に町並み保存の活動が広がった。多くの地区が妻籠宿の進む道を追い、「妻籠を愛する会」から多くを学んでいった。そして、いつしか妻籠宿は「町並み保存の聖地」とまで呼ばれるようになったのだ。
「だから妻籠宿はぶれるわけにいかない」
松瀬さんの横顔には聖地を守る強い意志と誇りが溢れている。
「妻籠に住んでいる人よりも、妻籠から離れて住んでいる人の方がこの町並みへの思いが強いようです」
最近は、一度は妻籠を離れた若者のUターンや、妻籠に住んでみたいというIターン希望者が増えてきているという。
「妻籠宿を引き継いでくれる第3第4世代が育ってきました。先日は『将来は妻籠宿のために働きたい』という高校生に会いましてね。嬉しかったですよ」
そのためにはオンリーワンの町並み保存が必要不可欠だと松瀬さんは言う。
「100人中100人に『いい町並みだね』と言ってもらわなくてもいいんです。
100人のうちひとりに『この町並みが本当に大好きだ』と妻籠宿ファンになってもらうことが大切なんです」
多くの「重伝建地区」が妻籠宿を手本にしている。
しかし聖地妻籠宿には手本がない。
妻籠を愛する会の第一世代の人たちが、新しい発想で「町並み保存」を始めたように、次世代の人たちは「オンリーワン」の町並み保存を目指している。
妻籠宿はきっと、100年後も今日と同じ景観を保っているだろう。